2012年01月14日

今年、最初に読んだ本『最後の色街・飛田』

最近、FBが主体になっているので、ブログするのもすっかりご無沙汰、すいません。さて、久々に本の話でも。

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最近、書店のひら台に山積みになっている(大阪だけか?)ので、ついつい買ってみた。かねてから大阪市の歴史などにも興味があったし、飛田についても非常に興味のある街だったから。

若い時・・・10代後半から20代前半の時ぐらいに、黒岩重吾の『飛田ホテル』や『飛田残月』、『西成山王ホテル』などを読んで、強い印象を持っていたからでもある。それ以上に忘れられないのが、自分がこの街と出くわした時のことだ。

天王寺に住んでいたころ、土曜だったか日曜だったかの昼過ぎ、新世界のジャンジャン横丁で酒を飲んだ後、何気なくブラブラ歩くうち、この街に迷い込んでしまい、不思議な雰囲気にショックを受けた。

目的意識を持って勇んで行ったとしたら、決してあんなショックは受けないのだろうけど、ボーーーーーッと考え事をしながら歩いていて、いきなりオバチャンに声かけられてハッと気付いた時は、もう頭がパニック状態になってしばらく茫然と立っていたことを、今でも鮮明に覚えている。

ま、正直に言って私も聖人君子ではないが・・・、あの出会いのショックさからか、以後、そこには二度と足を踏み入れていない。

肝心の本のことに戻ろう。著者はフリーライターの井上理津子さん。筑摩書房刊。売れているのだろう、発売以来、2カ月で5刷。

いやはや、これは労作である。飛田について、かなり突っ込んだ本が書けたこと自体、感心する。取材に10年以上要したようだが、「いろいろヤバかったんとちゃうの?」と思ってしまう。

実際、井上さんは暴力団の事務所にアポなしで訪問して話を聞いたりと、私が知り合いなら「そんな危ないこと、やめとけよ!」と絶対、言っていただろう。

それぐらいして書き上げた一種のルポ。面白く読んだ。読んだのだが、やっぱりまだまだ含みがあるというか、書けない部分もいろいろあったのだろうなぁ、というのが時々、行間からにじみ出ているような気がする。面白いだけに、そこが一層、気になるのだ。

そう思うと、先に私は「飛田について、かなり突っ込んだ本」と言ったけれど、どこまで突っ込んでいるのか、その深さが気にもなる。

現実以上に、飛田という街をかいかぶる必要はないけれど、まだまだその底の見えない深さを、この街は今でも感じさせているように思うのだ。

大阪、関西の人以外は馴染みのないところかもしれないけれど、もし面白い本が読みたいとお考えなら、私は今年早々の第1冊目として、この本を自信を持っておススメします。

2011年08月19日

”投げやり”じゃないからサ

戸田奈津子先生をはじめ、映画などで外国語から日本語への翻訳作業を行ってる方々は、本当に御苦労さまだと思う。

あの短い中で、意味をわからせるように訳すのは、通常の・・・例えば入試で英文を日本語に直すことなど・・・とは違うレベルの難しさがあるはずだと思う。

しかし、いろんな映画とかを見ていくと「え、えええ?」と、英語が怪しげな私でさえ首をかしげる訳文があるのも確かだ。

その反対に、私が今まで見た中で最高の「名訳」だと思ったのは、アメリカ映画『M*A*S*H』の、テレビ版日本語吹き替えのセリフ。

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詳しいストーリーは、またそれぞれ見ていただくとして・・・。

朝鮮戦争で朝鮮半島に駐留している陸軍野戦病院(M*A*S*H)が、慰問の一貫として本隊のアメフト・チームと試合をすることになった。同時に、どちらのチームが勝つか、賭けも始まった。主人公たちのいるM*A*S*Hは、勝って膨大な賭け金を狙うため、元有名プロ・アメフト選手だった脳外科医をスカウトする。その選手のプロ時代のあだ名は、「ヤリ投げのジョーンズ」という。

M*A*S*Hにやって来た「ヤリ投げのジョーンズ」に対し、主人公たちや看護婦たちが群がり、こう聞くのだ。

「どうして『ヤリ投げのジョーンズ』って呼ばれているの?」

それに対するジョーンズの回答が、日本語の吹き替えでは・・・

「”投げやり”じゃないからサ」というものであった。

最初にテレビでこのシーンを見た時、思わず大爆笑してしまった。「お見事!」という感じの訳。もちろん、原語がそうなっているわけではないだろう。日本語字幕のセリフも全く違っていて・・・

「昔、ヤリ投げを・・・」

という、いたってどうということのないセリフだった(DVD版の日本語字幕による)。

原文に正しく訳すというのが翻訳の第一の使命であるなら、前者の吹き替え版の訳者の仕事は、明らかに間違っている。

しかし、この「M*A*S*H」というブラックコメディな映画全体を貫くムードというか、世界観から考えると「”投げやり”じゃないからサ」というセリフが、俄然、魅力的に響くのである。翻訳者の方は、この映画の本質を、非常によく捉えているように思えるのだ。

「M*A*S*H」の日本語吹き替え版を誉める例をあげたが、字幕担当者の工夫についても触れておきたいと思う。この映画、DVDの日本語字幕にもなかなかシャレたものがいろいろある。一例をあげると・・・

「ホットリップスなどホットけ」

これだけ見ると何が面白いのかよくかわからないと思うし、オヤヂ・ギャグ以下にも思えるだろう。しかし、この訳文も「M*A*S*H」という映画の雰囲気を非常によく伝えていると思う。しかも、字幕という「文字」だからこそ伝えられる面白味がある。

たぶん、この映画をご覧になった方はとニヤリとされたかもしれない(ちなみに、このセリフはハモンド将軍がヘンリー・ブレイク大佐に言ったセリフである。テレビの日本語吹き替えでのセリフでは『熱い唇かね? 寝てやりたまえ!』となっていて、これもかなりの名訳である)。

通常の映画なら、ちょっと飛び過ぎの日本語吹き替え、日本語字幕であるが、この映画も持つパワーがそれを許しているのかもしれない(だから、この映画、私は大好きなのである)。

こうなると、もはや言葉遊びに近い段階に入ってしまっている。

「昔、やり投げをやってたからサ」
「ホットリップスのことは放っておけ」

でも、意味的には何の問題もない。伝達効率というものから言葉を考えるなら、必要充分なのである。でも、お腹の底から「フッフッフ・・・」という笑いがこみ上げることはない。

結局、コミュニケーションの力というものは、伝達効率だけでなく、こういった”遊び”の部分に宿るのではないかと思う。しかし、それが上手くはまるか、はまらないかで、コミュニケーションを豊かにするものになったり、無駄話しになったりする。匙加減が難しいのである。

重要なのは、人に何かを伝えるという作業において、”投げやり”じゃないからサ、と言えるだけの汗をかいているかどうかなんだと思う。
(う〜む、なかなか予定調和的な終わり方だったなぁ)

2011年03月28日

こんにちは ありがとう

こんちには こんにちワン!
ありがとう ありがとウサギ!・・・

金子みずずや宮澤章二の詩集が売れてるみたいだが、私にとってはこっちの方がずっと耳に残ってしまって・・・。

私の小3の息子も、このCMが始まったら一緒に歌って踊ってるし、私の頭ん中も、小3程度ってことかもしれない。

ところで、このCMのロングバージョンをずっと聞いていると、妙に気になってしまう自分がいる。

「こんばんワニ」「さよなライオン」ぐらいまではまだいいのだが、「おはよウナギ」・・・

なんか朝っぱらから「鰻」って、もっとあっさりしたものでいいのでは・・・などと考えてしまう。

そうだなぁ〜、もうこの歳になると、「おはよ梅茶漬け」ぐらいがちょうどいいよなぁ。

ところで息子の指摘によると、このCMの中で、少年のイラストの袖の色の塗りが抜けている部分があるそうです。確かに、本来は青なのに抜けて白になってる箇所がありました。

さてさて、どこかわかるかな?

2011年03月07日

「ガリマール新評伝シリーズ」に注目!

昨日、例によって近所の図書館に行った。早速、新入荷コーナーの飛んでいくと、おぉ、ちょうど今、読みたいなと思っていた内容の本があるではないか!

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祥伝社『ガリマール新評伝シリーズ 世界の傑物3 ルイ16世』(ベルナール・ヴァンサン著・神田順子訳・鹿島茂解説)。

最近読んだ『物語 フランス革命』でも書いてあったが、かつては愚鈍な王の典型と認識されていたルイ16世であるが、世が世なら非常に名君たりえたのではないかと最近とみに再評価が進んでおり、その関連の書籍を読んでみたいと思っていたところだったのだ。内容的にピッタリ!

まぁ本は今読んでいるところなので、書評についてはまたの機会に譲りたいと思う。だが、祥伝社のこの『ガリマール新評伝シリーズ』というのが、ちょっとけったいな感じで、妙に気になるのである。

『ガリマール新評伝シリーズ』とは、祥伝社の創立40周年を記念して企画されたシリーズである。前掲書の巻末に掲載された本シリーズの広告文によれば・・・

「フランスを代表する出版社であるガリマール社のペーパーバックス部門folioが発行する人気評伝シリーズの中から現代日本にアピールする人物を選りすぐり、読みやすい良訳で紹介」とある。

いや、その目的はすごく良くて、なるほど訳文も読みやすい方だと思う。

それよりも私が気になるのは、このシリーズのラインナップなのだ。1巻から順に挙げると・・・

1.ケルアック(イヴ・ビュアン著・井上大輔訳・池澤夏樹解説)
2.ジェームズ・ブラウン(ステファン・ケクラン著・鈴木知子訳・井筒和幸解説)
3.ルイ16世(前掲の通り)

ここまでが既刊で、以下、続刊としては

4.フェリーニ、5.ドゴール、6.カミュ、7.チェーホフと続く。

ね、このラインナップの中で、突出して『ルイ16世』だけが何か”仲間はずれ”な感じがする。ルイ16世がいなければ、別に『20世紀の傑物』でもいいと思うのだが。

それより何より、第1巻がジャック・ケルアックというのが凄い。

いやケルアックに失礼だと思うが(それとケルアック・ファンの方にも)、この手のシリーズでケルアックがトップになるというのは、極めて意外な感じ。

で、続いて2巻がJBか・・・。何か一筋縄ではいかない評伝シリーズ・・・というか、祥伝社さん、何か狙ってる?という感じ。ヘンなシリーズだなぁ、ホントにゲロッパ!。

とはいうものの、解説陣もなかなかな人選で、これも本シリーズから目が離せない一因でもある。

祥伝社って、時々「???」という本もだしているが、これはこれから期待大・・・だと言っておきましょうかね。いろいろ読んでみようっと。

2011年02月28日

痛々しくて、もう見てられん『江』

小5の時『天と地と』を見て以来のNHK大河ドラマ・ファンである私。といっても毎年毎年、見続けてきたわけでもなく、まぁ面白そうなものは見て、面白くないものは見ない、というここ数年。

見ないといっても、一応、最初は見てみる。歴史そのものが好きだし、とりあえずは、どんなものであろうと期待しているからである。

昨年の『龍馬伝』は、以前のブログにも書いた通り、4月に見なくなってしまった。ちょっと、自分の歴史認識とズレが大きくて、だんだん見るのが辛くなったからだけど。

ただ、やっぱりクライマックスが見たくなり(基本的には、私は龍馬好き)、10月の終わりぐらいから再開して、最後はそれなりに楽しんだ。

ところが今年の『江』は、もうダメ。俗に言う「アホらしやの鐘が鳴る」というヤツで・・・。

すごいですね、浅井家の江ちゃん。

戦国末期の歴史的に重要な場所に不思議といつも立会い、自分より遥か〜に年上の大物と腹を割って語らい、歴史の真実に触れる、わずか9歳(本能寺の変当時の江の年齢)の少女、ちょっとハイパーでステキハート

ちなみに私のバカ息子も今年9歳だが、こんな大人でハイパーな江ちゃんのツメのアカでも煎じて飲ませたいぐらいだ。

いやもう設定がどうのこうのという問題ではなく、ここまでして女性をヘンな主役にする必要があるのかと思う。一応、誤解のないように言いますと、決して女性は大河の主役になれない、と言っているわけではない。描き方が、ヘンだと言っているわけで。

そりゃぁ、江と言う女性は、大変な人生を歩んだかもしれない。実の姉と敵味方みたいになっちゃって。でもたぶん、どう見積もっても江はせいぜい「歴史に翻弄され、数奇な人生を歩んだごく普通の女性」ではないかと思う。

で、そんな女性は戦国時代にはいっぱいいたはずだ。肉親と殺し合うなんてのも、まぁそこらであったのではないかと思う。江が他の人と違うとすれば、彼女が国家的なスケール(?)で数奇な人生に振り回されたということだろう。

問題の根源は、大河ドラマを幼少の頃からの一代記として描かねばならないという「しばり」にあるのだと思う。

流行語にもなった「梵天丸はかくありたい(古!)」とか、子ども店長の「わしはこんなところに来とうなかった!」と言ったふうに、大河の主役になるほどの歴史的人物は、幼少の頃から人並はずれた言動で、周囲の大人たちを驚愕させるのだが、それを今回の江ちゃんにもそのままあてはめようとするから、こんなヘンな物語になっているのだろう。

もちろん、「歴史に翻弄され、数奇な人生を歩んだごく普通の女性」である江には、”ごく普通の女性”にはない苦悩もあっただろう。だったら、それを1年かけて丁寧に描いてもいいのではないか。

なのに無理して本能寺の変やら清州会議やらにからませて、ハイパーなキャラに仕上げているのが、かえってすごく痛々しいのである。

まぁ、どっちにしても、もう見るつもりはない。龍馬とも違って、年末になっても復帰しないだろう、これだけは間違いなく断言できる。

2011年02月09日

最近、読んだ本

久しぶりに、私がここ何ヶ月かで読んだ本をご紹介しよう。といっても、ほとんど新書ばっかだなぁ・・・。


■『ビートルズとボブ・ディラン』
 中山康樹(光文社新書)


たぶん「ディランはよく聞くが、ビートルズはほとんど知らない」と言う人はあまりいないと思うが、「ビートルズはよく聞くが、ディランはほとんど知らない」と言う人は、結構いるのではなかろうか。

この本は、後者向け・・・と言えば言えるかも。ディランをよく聴いて、彼について書かれたものを読んだことがある人なら、今更な話も多い。「そりゃまぁ、そうだろう」という話も多い。もうちょっと変わった視点からの分析もあるのかな、と期待していたが、なんだか”尻切れトンボ”な感じが拭えない。まぁ、時間つぶし程度にはなるだろう。それ以上を期待するなら、読まない方がマシ。他に読むべき本は、いっぱいありますから。


■『創られた「日本の心」神話
 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』
 輪島裕介(光文社新書)


よく「演歌は日本人の心」といわれる。そして我々も、それを何の疑いもなく受け入れている。だが、著者はそれが本当なのかどうかをひも解いてゆこうとする。だが単純に肯定・否定するのではなく、「いつ、いかにして、いかなる意味で、誰にとって『演歌』が『伝統的』『日本的』とみなされるようになったのか」(348ページ)をテーマとして論を進めて行く。

著者は「演歌」の由来から日本の歌謡曲史(特に戦後)、さらには広範な大衆文化を分析することで、かつては低俗なものとして知識層からの蔑視と非難にさらされてきたレコード歌謡が、「演歌」というキーワードを得ることにより、価値観を逆転させ、『国民文化』にまで引き上げられた、その歴史上の流れを明確にしていく。

秀逸な「大衆音楽史」になっているだけでなく、戦後の日本の大衆文化史論にもなっているという点で、極めて優れた著作だと思う。


■『物語 フランス革命
 バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで』
 安達正勝(中公新書)


私は東西和を問わず歴史が好きなのだが、中でも特に好きなものを3つあげよといえば、必ず入ってくるのが「フランス革命史」なのである。だから、本格派学術書はちいと大変なので買わないが、それ以外の本・・・新書あたりがいいですね・・・は、たいがい買って読むのである。

新しい本を読むたびに、新しい発見がある。学術的な解明が進むからでもあるし、また、違った視点からの新しい試論もあるからでもある。そして、そんなものに触れるたびに、いわば「目ウロコ」状態になって、私は歓喜するのである。

今回の前掲書について言えば、とにかく読みやすい。「物語」と銘打たれている通り、ひとつひとつの人物、ひとつひとつのエピソードが流れるように頭に入って、ちょっとした快感である。で、やがてはそのひとつひとつが大きな流れとなって、改めてフランス革命という歴史的大事件を見事に描き出しているのである。

時間がない人は、最初の「序章 フランス革命とは」だけでも読んでおくといい。これだけで文字通り、フランス革命とは何だったのかが理解できるし、だいいち、極めて感動的な文章でもある。入門書としてもピッタリだ。


■『ベルリン <記憶の場所>を辿る旅』
 アンドレーア・シュタインガルト(昭和堂)


ベルリンに残る歴史的な遺構やモニュメントを案内する本なのだが、よくある旅行ガイドとは全く趣を異にする。それは章のタイトルを見てもある程度、わかるだろう。

「皇帝と革命家のベルリン」「ナチスのベルリン」「社会主義統一党のベルリン」「分割されたベルリン(壁に囲まれた西側)」「再び統一されたベルリン」・・・。

紹介されているスポットも、ローザ・ルクセンブルグが虐殺された揚句、死体が投げ込まれていた運河だとか、ナチスが要人からピロートークで情報を得るための娼館跡だとか、アウシュビッツ行きの列車の始発駅だとか、60年代後半、学生デモに参加していた大学生が警官に射殺された場所であるとか、どちらかというと現代人にとっての苦い追想の場所、つまり「負の遺産」と言えるような場所がほとんどである。

このような人類の「負の遺産」もしっかり認識して、我々はこれからの新しい時代に向けて生きて行かねばならない・・・

というステレオタイプ、というか優等生的なコメントもできるだろうけど、優等生ではない私は、ただひたすら、下世話に「へ〜、ローザ・ルクセンブルグの死体が捨てられた場所なのかぁ・・・ちょっと見てみたいナ」と思うだけだ。

そういう意味では、華やかな観光スポットも、この本に挙げられているような「負」のスポットも、「等価」なものとして捉えている私自身がいる。ただただ、「見てみたい」という観光欲求を振りかざしている自分が。

というわけで、この本の読後感は、凄く残酷である。

観光名所と歴史的汚点、好奇心と反省心。・・・悲惨なスポットの解説を読みながら、興味本位で下世話な想像を働かせている自分を発見するからだ。要するに、この本は、現代人に向けられた、両刃の刃物なんだろうな。

ところでこの本を読んで、ちょうど21年前、ベルリンに行った時の記憶が鮮明に甦ってきた。それは、また次の機会にこのブログで述べようと思う。


以上、ここ数カ月の間に、私が読んだ本の感想である。

2011年01月31日

「嵐×Android au」のCMが、今、面白い。

我が家は子どもたちが『嵐』の大ファンである。彼らが、ほんの少しであろうが出ているテレビ番組は、絶対に見逃さない。

というわけで昨夜の11時時半のこと。

音もなくすーっと次女が自室から降りてきたかと思うと、リモコンでテレビのチャンネルをいきなり替える。そう、KDDIがスポンサーの『Music Lovers』(NTV系)に、嵐が登場するからだ。

「なんで勝手にチャンネルを替えるんだよ!」などということを、私は言わない。この1年、車の中とか、家のDVDとかでさんざん嵐を聞いたり見たり(聞かされたり、見せられたり)しているうち、すっかり”嵐慣れ”してしまったからだ。

「あぁ、今日は嵐やったんか!」と私が言うと、「そやで」と次女。

ライブのダイジェストやトークやら、それはそれで良い。それよりも面白かったのは、番組の終わりに流れた、嵐によるAndroid auのCM。27日から流れているバージョンだそうだ。続きを読む

2011年01月25日

もしゴル(?)

今日、ちょっと息抜きのために、行きつけの喫茶店に行った。例によって、備え付けのコミックを読む。今日、入っていたのはおなじみ『ビッグコミック』である。

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いろいろ読んで、最後は『ゴルゴ13』である。まぁ、お馴染み。あ〜、今週のゴルゴは、理論物理というか宇宙論と、クラウドコンピューティングなのね・・・と思う。

例によって、やたら吹き出しの多いコマ割り。コマの中では、今回の主人公と思われる女性物理学者が、物理学の4つの力について、概要を述べている。述べている相手は、同じ研究所の学者たちの様子。同じ物理学の学者に、いまさら4つの力について解説しなくてもいいのに・・・と思ったりして。

さらにページを進めると、どうもクラウドコンピューティングのシステムを売り込もうとする人と、その相手の会話。まぁ、コンピューティングのプロ同士の会話・・・のはずだが、最初の会話はクラウドコンピューティングの初歩的解説ばかりのような気が・・・。なんでいまさら、そんな話が必要やねん・・・と思ったりして。

で、そこまで読んで思った。「あぁ、そういえばゴルゴはずっと、新しい知識の伝道師だったのだな」と。

自分の人生を振り返って考えれば、『ダスビダーニャ』とか『スパシーボ』だとか、『ガスパージン』とか、外国語を覚えたのは、『ゴルゴ13』からだったなぁ・・・と。

外国語の挨拶だけじゃないな。いろいろ、その時代のトレンドというか、政治、経済、産業、ハイテク・・・話題になるものは、たいてい、『ゴルゴ13』の”吹き出し”で学んだのだった。

そういう点で言えば、ゴルゴ13って、去年のベストセラー、あの『もしドラ』に先立つ存在だったのではないか・・・と思う。

ということは、さしずめ今週のゴルゴは『もしゴル』・・・つまり『もし美人女性理論物理学者がゴルゴ13に暗殺を依頼したら』かもしれないですね。

でもスタッフはリサーチ、大変だろうなぁ。お疲れ様です。

2011年01月18日

全角・半角

いやいや、ほとんど重箱の隅なのだが、時々、気になるのが新聞とか雑誌のフォントの使い方なのである。広告というか、販促業界から見れば、すごくテキトーな感じがして。

その最たるものを、昨日の新聞で見たのだった。

いわゆるテレビ欄なのだが、日テレ系の「しゃべくり007」という番組の新聞における表示が、こうなっていた。

「しゃべくり007」

最初のゼロは全角、後のゼロとナナは、半角。半角数字ばかり3文字だと、半角分スペースが空く(文字数が奇数だから)ので、1文字だけ全角にして空きがないようにしているのだろうけど、それならそれで、どう考えても・・・

「007」より「007」(要するにゼロが2つとも半角、ナナだけ全角)

の方が、まだ理にかなっている、というか見栄えがいいだろうに・・・。というか、いっそ「007」と、みんな全角にした方がキレイだろうに。

まぁ、広告とか販促業界のライターって、ボディコピーのブロックが真っ四角になるように、しかも文節でキレイに改行できるようにコピーを書く・・・などという見栄えの良さに血道をあげてきた人たちなもんだから、新聞や出版系のワイルドさには時々、凄くキモチ悪さを感じることがあるのだ。まぁ、それぞれの文化の違いなんだろうけど。

でも、まぁ読む人は誰も、そんなことは気にしてないんだろうな。ということは、私らが必死にやってきたことは、何だったんだろう???と、ふと疑問に思ったりする今日この頃である。

2011年01月17日

食い合わせ?

土曜の昼、何気にNHKテレビのニュースを見ていると、どうも気になることがあって・・・。いや、人によっては別にどうということもないのかもしれないが・・・。

そのニュースは、アメリカのカリフォルニアで、日本の新幹線を売りこむためのセミナーとか展示会みたいなのがあったというような内容だった。国、鉄道会社、関連企業が連合で「売り込み」をかけているわけである。私も国民の一人として、そのニュースを見ながら、何とか頑張って貰いたいと強く思ったわけだ。

カリフォルニアは、ご存じの通り環太平洋で地震が多い。従って、地震国である日本の新幹線技術が活かせるわけだし、事実、参加されていたおエライさん(誰か忘れました)もビデオで、「地震など天災にも強い新幹線には、勝機がある」というような旨の発言をされていた。

で、そのニュースが終わって次のニュース。

折からの寒波、大雪のため各地で新幹線が止まったり遅れているという・・・。

いや、別に大雪で遅れることが新幹線というシステムの脆弱さを表すわけでもないと思うが、微妙にニュースとニュースのつながりが悪いと言うか、心地よくないというか・・・せっかく「頑張って新幹線を売り込めよ!」と意気軒高になっているところに、気勢を削ぐこの流れ。何、これ?という感じ。結局、ニュース同士の食い合わせが悪いということなんだろうけど。

たまにあるんですよね、どうも前後のニュースの食い合わせが悪いことが。

まぁでも、カリフォルニアに行っている皆さんは、これにめげず頑張って新幹線を売って来てくださいね。健闘を祈る!

2010年06月07日

ありゃりゃ、こんなところで!

土曜日に、市の図書館に行って来た。

しかしメインの図書館ではなく、道の駅に併設された、小さい目の図書館である。というわけで所蔵する書籍の量も少ないのだが、来場者もそう多くないため、ゆったり見られるのでよく利用しているのだ。

入館すると、とりあえずいつものように、新着図書の棚に行ってみた。

ありゃりゃ、こんな本があるではないか!

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スージー・ロトロ著 菅野ヘッケル訳の『グリニッチヴィレッジの青春』(河出書房新社)である。

スーズ・ロトロは、デビュー間もない頃のボブ・ディランの彼女として知られた女性だ。彼の出世作とも言える2枚目のアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』のジャケットで、ディランと寄り添って映っている、あの人である。

ディランや60年代前半頃のヴィレッジの様子を描いたスーズ・ロトロの本が、日本でも出されたというのは知っていた。でも書店でもあまり見たことがなかったのに、こんな辺鄙な場所にある小さい図書館で見つかるとは! ありがとう、誰か知らないが図書館の人。よくぞ仕入れてくれました。

いや、買おうかなとも一瞬思ったのだが、何せ1冊、3千円もするのだ。それが無料でじっくり読めるのはありがたい。気分が非常にホクホクした。



図書館の帰り、スーズ・ロトロの本を抱えて嬉しい気分でスーパーに寄った。かつては「カルフール」と呼ばれたスーパーである。

DVDやCD売場を回ってみると、売れ残りのDVDやらCDをワゴンセールで叩き売っていた(ここは、たまにこんなセールををやる)。

何気なく見ていると、ありゃりゃ、こんなDVDがあるではないか!

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『さらば青春の光』、500円。日本語タイトルは、軟弱だが、早い話がザ・フーの『四重人格』をベースにした映画である。すでに980円シリーズとして再発されていたものが、それでも売れず(?)500円で叩き売られていたというわけ。

この映画は昔、20年ほど前だと思うが、レンタルビデオで借りて見た事がある。しかし同じフーのアルバムの映画化である『トミー』に比べても、あまりいい映画だとは思わなかったため、ご無沙汰さんであったのだ。

そんなだから、おそらく980円のままだったら、買わなかっただろうな。税込500円だから、「資料的価値(?)として考えたら、まぁいいか」ということで購入したわけ。たかが480円の違いだが、心理的な差は大きかったわけだ。

スーズ・ロトロの本ほどホクホクした感じはなかったけど、それなりに嬉しくて土曜日は気分がいい一日となった。

ところで『グリニッチヴィレッジの青春』と『さらば青春の光』。後になってよ〜く考えてみると、どちらも「青春もの(?)」で、50過ぎのオヤジがホクホクするには、さすがにちょっと気持ち悪いかったかも。

2010年05月07日

最近読んだ、ピカイチ本

歴史や文学史における「謎解き」は、専門家による学問の世界だけでなく、”素人”も参加できる分野として、非常に人気である。

かくいう私も歴史好きだから、歴史の謎に対して「それは●●なのだ」という解答らしき「予感」は一応、持っている。ただし、他人に開陳することなど、たぶんないだろうけれど。

なぜ開陳しないかというと、自説を証明するのが難しくて面倒だからだ。あるいは、すでに誰かが証明したり、または反論したりしているかもしれないけれど、それを調べることも面倒だからだ。まぁ一口でいえば、「専門家じゃないから」ということ。それを調べて飯が食えるわけじゃないからね。

反対に、何も調べ尽くしもしないで「我こそは歴史の真実を知る者なり!」と声高に叫んでも、それは単なる歴史トンデモ本の作者。そんなものには、なりたくもない。

で、結局は、「いや〜、歴史って難しいんだよ」などとテキトーにお茶を濁して、世を忍んで生きるのである。

じゃぁ「自分は、この謎は●●じゃないかって思う。証明できないけど、そんな予感なんだよ!」というスタンスが許されないかといえば、そうでもない。数少ないが、許される人っているんじゃないかな・・・例えば、今回ご紹介する文春新書『源氏物語とその作者たち』の著者、西村亨センセだ。

西村センセは1926年生まれというから、私の父親と同じ84歳のはず。若い時に折口信夫に師事され、以来60年以上にわたって古代学・和歌/物語を研究されてきた方だ(現在は慶応義塾大学の名誉教授)。

正直言って今まで読んだことはないが、たぶんずっと「源氏物語」についても、様々な論文を発表されて来たと思う。

『源氏物語とその作者たち』は、タイトルからもわかる通り、「桐壷」以下の各巻を、文体や物語の流れ、時間的整合性など多角的に分析して、紫式部が書いたと思われるのは、どこまでか。では、残りはどのような思惑で書き加えられたのか。そして、誰が書き加えた容疑者か・・・を推論している。

この問題は、おそらく解答は永遠にわからないだろう。というか、証明のしようもないのだ。言うまでもなく、文体の違い、時間的に整合性が取れない、物語の流れが一応ではない・・・といったことは、指摘できるだろうけど、だからそれが紫式部が書いたものではないということの証明にはならない。まして藤原頼通が書いているかもしれないというところまでいくと、ほとんど「歴史トンデモ本」スレスレになるだろう。

でも、「新書」という、論文発表の場とは違いステージで、西村センセも多少ハメをはずし気味で、それが本の内容の良いアクセント、魅力になっている。好きだなぁ、80歳を超えて、ハメをはずす人って。

念のために言っておきますが、この本は決して「文学史トンデモ本」ではないよ。60年にわたり研究してきた学者が、今までおおっぴらに書けなかった自分の「予感」を、精一杯書いている。その「予感」は、トンデモ本の著者が思いつきで書き流しているのとは全く違う、学究の徒だからこその「予感」なのだと思う。だから私は、最後の方はとても微笑ましく読ませてもらいました。よい本だと思う。

でも終わりの方の数ページは、まるで小説じゃぁないですか!? もう笑うね。センセ、ひょっとすると60年間、これが書きたかったんじゃないですか?!

最後に、西村センセ本人の言葉を引用させていただこう。

「われわれが仮定の上にたってもしやというもの言いを試みるのは、そこに真実に到達する道があるのではないかと切望しての企図なのだ」(前掲書213ページ)。

「センセ、真実は近いかもよ」と私はスナオに思ったのでした。

2010年04月19日

「恨みま〜す」

約10か月ぶりのブログが、いきなりなタイトルで失礼。

本題。

毎週日曜の夜、『龍馬伝』を見ているのだが、そのテーマソングがね・・・外国の女性が歌っているやつ・・・何と歌っているかわからんのですが、いつ頃からか、テレビを見ながら「恨みま〜す」とボソっと歌いだしてみたら、案外、スッキリとはまったので、それ以来、いつも心の中で家族にバレないように歌っているのだ。

そんな山崎ハコみたいな日曜夜10時の私である(BSの再放送を見ているため)。

しかし、『龍馬伝』は評価に苦しむドラマだなぁ。(別に福山がど〜だ、とか言うつもりはない。彼はよくやっていると思うし。周りの役者さんもいいと思う)

いや、大河ドラマなんて、歴史ではなくてしょせんフィクションである、まぁそんなことはハナっから分かっているのだけど、やはり歴史的な定説との逸脱ぶりが、どうしても気になってしょーがない時がある。

歴史と言うのは謎だらけだから、何をもって「事実」か「フィクション」か、さらにいえば「いち学説」か「学会の定説」かなんて、素人には難しい判断ではある。ある人にとってはOKだけど、別の人にはNGだってこともわかってるし、歴史的な厳密さを気にしてたら、ドラマなんて作れいないかもしれない。しかし、やはり最低限、守らなければならない線っちゅうものがあるのではないだろうか?

そういうわけで『龍馬伝』も、極力、フィクションドラマとして楽しもうとはしているのだが、やっぱり京都で龍馬と加尾が会ったシーンなんか見ると「?」と気になってしまうし、ましてや龍馬が加尾から「勝鱗太郎に会いなさい」などと言われているのを見ると、正直言って、いっぺんに白けてくる自分がいる。ついには、岩崎弥太郎と龍馬が幼馴染、という設定にはやはり無理があるのではないか、と大前提まで疑問に思う自分がいる。

ということで今週まで、気になりつつも何とか『龍馬伝』を見てきたが、どうも武田鉄也が好きじゃないこともあり、「あ、今日からミヤネと滝クリの番組が始まるんやった」と、8チャンネルに変えてしまった。

歴史上の人物としては坂本龍馬は非常に好きで、今回の大河ドラマも楽しみにしてたんだけどなぁ・・・まぁ、「恨みま〜す」ですかね?(←オチとしてはお約束ですな)

2009年06月26日

追悼 ファラ・フォーセット (別にファンじゃないけど)

いや、特にファンというわけでもないのだが。
昔テレビで『チャーリーズ・エンジェル』を見ていたぐらい。特に好きなタイプでもなかったし。

初めて彼女を見た時は「ファラ・フォーセット・メジャーズ」と名乗っていたっけ。当時の旦那が、確かリー・メジャーズだったからね。リチャード・サラフィアン(私が思うにアメリカ映画史上、ベスト5に入る大名作『バニシング・ポイント』の監督だね)の『サンバーン』などという、情けない駄作で主演してた記憶が残ってる。

どちらかというと、『チャーリーズ〜』以前は二流半女優イメージだったけど、あれで大スターになったんだよね。

でも、お亡くなりになった時が悪かったのでしょうか。今日はマイケル一色だもんね。ファラの死の扱いの小さいこと、小さいこと。

というわけで、一種の「判官贔屓」な書き込みでありました。

まぁ、マイケルも私と同い年(昭和33年生まれ、戌年)だから、それなりの感慨はありますが・・・。

いろいろ、せわしない日でしたね。みんなお疲れ様。

2007年11月15日

ジーザス・クライスト=十人十色

071115_gillan.jpg

先日、四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター」についてのブログをアップした。

その後、「イアン・ギランがイエス・キリストをやっていたのか!?」という声が、私の周りに少なからずあって、結構、興味を示していた人がいたので、ここであわせて紹介しておく。

それと、この際、ギランだけじゃなくて、いろんなイエス・キリストも紹介しておくことにする。

下記は、Youtubeにあった「JCS」の中のイエスのアリア、「ゲッゼマネ」の主なものである。イアン・ギランはアルバムなので映像はないが、それ以外はいろいろ見比べたり、もちろん聞き比べしてもらえば面白いと思う。

ちなみに「ゲッゼマネ」という曲は、自らの運命を悟ったイエス・キリストがただ一人、ゲッゼマネの園で神と対峙する場面である。

興味のある方は、今すぐ手元の新約聖書をご覧あれ!

ところで巻頭の写真は、言うまでもなく我らがギラン先生。でも、よくよく考えると怪獣みたいな名字だなぁ、ギランって。

イアン・ギランの「ゲッゼマネ」(ロンドン・オリジナル)
http://youtube.com/watch?v=O2cCuadivpE&feature=related
※音声のみ。映像はありません

テッド・ニーリーの「ゲッゼマネ」(1973年映画版)
http://youtube.com/watch?v=rDHoTOgeNWE&feature=related

1998年のJCSツアーより(歌い手不明)
http://youtube.com/watch?v=8_x1PLDaeO4&feature=related

グレン・カーターの「ゲッゼマネ」(2000年映画版)
http://youtube.com/watch?v=RaPM1QdpbbE&feature=related

ドイツ語の「ゲッゼマネ」
http://youtube.com/watch?v=tNKo4zGnwSs&feature=related
でも、こいつ、ヘタやなぁ・・・。音程不安定やし、第一、威厳がない。

ACLO版「ゲッゼマネ」。よくわからないのだが、おそらく近年のものと思われる
http://youtube.com/watch?v=BHzFIHjkxRU&feature=related
でも、この人がが結構、上手かったりするのでびっくり!

いや〜、でもみんなたいがい良いね。

何と言っても、これが「ロック・オペラ」やで、という感じ。

ねぇ、アサリさん。

2007年11月07日

聞かせてよ愛の言葉を

以前、10月16日の本ブログでもチロっと書いていたが、最近、NHKの朝ドラ『ちりとてちん』にどっぷりと嵌っている私である。いや〜、なんか見てしまうんだわ、これ。

役者さんたちもいいし。自分的には『ふたりっこ』よりも、はるかに面白い感じ。マジで見入ってます。

とはいうものの、平日の朝(私が見ているのは、午前7時半からのBS版)は何かとテンヤワンヤで、いろいろ通勤支度をしながら、横目でチョロっと見ているのであるが、このドラマ、結構、じっくり見ていないと本来の面白さはわからない(物語の構成が、結構、緻密ということ)ので、結局、土曜朝にBSでやっているまとめ再放送であれこれ再確認しながら、また楽しんで見ているという次第だ。

今日も、横目でチラチラ見ていたのだが、途中、挿入されているBGMを聞いて、びっくりした。
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2007年11月02日

いかにも劇団四季らしい(?)『ジーザス・クライスト=スーパースター』

みんなが名曲だと言っている『千の風になって』。もちろん、私も名曲だと思う。いつもではないけれど、たまに心の調子とシンクロする時に、聞いていて思わず涙が出そうにもなる。やっぱり名曲でしょうな。楽曲としてはね。

でも、実はワタシ的にはどうも馴染めないものがある。それな何かといえば、歌い手である秋川雅史である。

秋川雅史ファンの方には申し訳ないけど、あの人の声は、どうも私は馴染めないのだ。ハッキリ言って、全然、好きではない。

なぜかと言うと、「朗々」とし過ぎているように思えるからだ。

「あれがクラシックの唄い方だ」といわれれば、確かにそうなのだろう(よく知らんが)。たぶん私は、クラシックの歌手よりも、場末のブルースバーで、声の潰れたシンガーの歌声に、より感情移入する人間なのだろう。だから、秋川の『千の風になって』には、最初に聞いた時から、どうも違和感があったのだ。

先日、久しぶりに劇団四季の『ジーザス・クライスト=スーパースター』を見たのだが、実は秋川の『千風』に感じる違和感と同じ感覚を、はからずも感じてしまったのである。
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2007年10月16日

ちょっとしたタイムマシン気分

私が今、熱心に見ているドラマは、そう多くない。というか、少ない。

まず大河ドラマの『風林火山』。これは面白い。私が思うに、この10年ほどの大河ドラマの中で、ベストワン間違いなし、というところ。脚本が、なかなかしっかりしている。出演者もいい。

当初は「どうなることやら」と思っていた謙信役のGacktであるが、これが非常に良い。謙信の「ヘン」なところが、非常にうまく描けているのではないか。これはプロデューサーの勝利だな。

というわけで、『風林火山』は日曜午後8時(総合)、日曜午後10時(BS2)、翌週土曜午後1時5分(総合再放送)と、3回も見ている私である(3回見ないと詳細までよくわからない時がある。それも面白さのヒミツ)。

大河で、この『風林火山』の面白さに匹敵するのは、『新選組!』ぐらいしか思い浮かばない。まぁ、あくまで私の好みですけどね。

次に、同じくNHKの朝ドラ。『ちりとてちん』。もっとも、朝ドラは、出勤前の時計代わりに、見ているというより流れているという感じに近いのだが。

ただ、先期のが「もう、何でやねん〜」というええ加減なストーリーであり、まさに流していただけなのに比べ、今期の『ちりとてちん』は、今のところすごく気に入っていて、毎日見るのが楽しみである。土曜日、BSでまとめて見てもいるし。

で、今、この2本に加えて結構、興味を持って見ているのが、BS2で『ちりとてちん』の後にやっている昔の朝ドラ再放送『都の風』なのである。続きを読む

2007年08月01日

「神の不在」と「愛の不毛」

昨日、朝刊を読んで思わず唸ってしまった。スウェーデンの映画監督、イングマール・ベルイマンが亡くなったというニュースを読んでだ。

特にびっくりするわけでもなかったし、自分にとって「痛恨の極み」、というほどのものでもなかった。ただ、少し唸ってしまった。

そして今日、またまた朝刊を読んで思わず唸ってしまった。イタリアの映画監督、ミケランジェロ・アントニオーニが亡くなったというニュースを読んでだ。

このニュースにもまた、特にびっくりするわけでもなかったし、自分にとって「痛恨の極み」、というほどのものでもなかった。ただ、少し唸ってしまった。

しかしなぁ、「神の不在」と「愛の不毛」が続けて亡くなるとは・・・。続きを読む

2007年07月14日

いまだに、こんなCM、作ってるんですかぁ? ハァ・・・

今日、テレビでチラッと見ただけなのだが、政府広報の参院選のCM。酷いなぁ、今どき、例を見ないほど、酷いCMだ。

有名なのか無名なのか知らないけど、女性タレントが出て、何やら内省的なセリフを吐く。まぁ、内省的に考えたすえ、選挙に行こうよ・・・みたいな、アホみたいなCMである。

昔よくあった「イメージ広告」風でもあるが、いかにもステレオ・タイプで、最早イメージ的にもなってはいない。あのCMを見て「そうか、では参院選に投票に行こう!」と思う人間がいれば、それはハッキリ言って、国宝ものである。みんなで大事にするように。続きを読む