2011年09月05日

政治の学校が必要だ


といっても、大学の政治学科の話ではなくて…


内閣が変わって、顔ぶれを見る。む? むむむ? ほぉぉぉ??

私が住んでいる市では、夏休みに小学生とかを集めて「子供市議会」をやっているが、何かそんな感じの顔ぶれ。「どぜう内閣」というより「子供内閣」だな、こりゃ。特に財(以下略)。

昔は…と、ジジ臭く昔話ばかりしていても、本当はラチがあかんが…外務とか大蔵などの重要閣僚というのは、だいたいが派閥の領袖など、大物議員の役職だったのだが。

「派閥」というと、ひと頃、諸悪の根源のように言われていて、「派閥解体」こそが政治革新への近道のように思われていた。確かに弊害も大きかっただろうが、私はそれなりに機能していた部分もあると、ある程度、肯定的に捉えている。いや、私はいっそ「強い派閥」が復活すればよいのに、とさえ思う。

かつて宰相候補(つまり自民党総裁候補)は、たいがいが派閥の領袖であったわけだ(だいたい竹下ぐらいまで)。これは何を意味するかというと、「派閥の領袖」に登り詰めることが、総理総裁になる上での、一種の予行練習になっていたということである。

「派閥」は政治家の、総理候補者の”学校”として機能していたとも言えよう。

つまり「政治力」の学校だ。もちろん、カネとか密室政治とかポストばら撒きの問題であるとか、いろいろヤバい面もあっただろうし、それが故に「派閥が諸悪の根源」となっていた点もあるだろう。

しかし近年の政治がここまでお粗末で、1年やそこらで総理の椅子がどんどん投げ出されている状況を見ると、多少、スネに傷があろうとも、ちゃんと「人の上に立って指導力を発揮する」という訓練を積んだ人に出てきてもらいたくなる。

「総理の座」がかくも軽くなったのは、おそらく海部俊樹とか宇野宗佑あたりからで、「神輿は軽い方が担ぎやすい」といったセリフがよく聞かれたものだ。そのセリフを言ったとか言わないとか噂されるのが小沢一郎。小沢が傀儡的な総理・党首を量産(?)することで、日本の総理の器と国会議員の権威は加速度的に矮小してしまった。そして「派閥」の本来の存在意義と力がなくなり、政治全体のダイナミズムが喪失されたように思えるのだ。

で、小沢一郎は、そういう自分が作った流れのために、何やら自分の影響力が削がれていっているのであるから、まぁ自業自得とも言えるだろう。今の世の中で、もう小沢型”人形遣い政治”が通じなくなっているのも確かだ。

「派閥」の力がなくなった近年の政治で、一番トクをしたのが小泉純一郎であろう。「派閥」があれば、おそらく彼のようなキャラは出て来れないはずで、「それが派閥解消の成果」と言えないこともない。

確かに小泉純一郎には力があった。派閥が力を失う自民党政治の中で、その個性的なパワーがひときわ目立ってしまった。それは小泉純一郎の個人的な能力というかキャラクターに依る部分、大であって、それを誰にでも期待するのは、大きな間違いだろう(今、この方向性を目指しているのが橋下だろうけど、さて、どうかなぁ…)。

しかも小泉がそうであったように、このタイプの為政者は独善的・独断的に走りがちで、よほど徳と見識のある人物でなければ、世の中はエラい方向に行ってしまう恐れがある。例えば20世紀前半の、あのドイツのように…。

「吉田学校」「田中学校(羽田孜の著書名より)」と、派閥は学校にも例えられてきた。派閥は政治にまつわる良いことも悪いことも、実地で体系的に教える場であったわけだ。その機会が、実際の政治の場で失われている。それが日本のここ数年の政治的脆弱さの原因ではないか。

派閥の代わりに台頭(?)して来ているのが、一財界人が私塾として作った「松下政経塾」であることに、職業政治家はもっと危機感を持った方がいいと思う。
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2011年07月19日

オットー・フォン・ハプスブルグの死に思う

オーストリア=ハンガリー二重帝国の最後の皇太子であるオットー・フォン・ハプスブルグ氏が亡くなった。98歳。大往生だと思う。

1990年代の初頭、東欧の共産主義政権が相次いで倒れ自由化された時に、確かハンガリーでは、このオットー氏を招いて王政に戻そうではないか、という声があったように記憶している。

当時の私は「王政復古」、つまり古ボケた体制の復活という感じがして、この声に非常に違和感を覚えたものであった。

王政と共和制を比べると王政の方が古めかしく、再びハンガリーが王政を選択するなら、歴史を逆戻りしているイメージがあったのだ。

しかしよくよく考えると、これもマルクスの影響力大ということであって、最近ではハンガリー王国の復活もあってよかったのではないか、と思うようになってきた。

第一、政治体制を進化論的に捉える考え方は、そもそも共産主義国の崩壊により、すでに破綻しているようでもある。

歴史的に見れば、かつて王政は確かに強固な身分差別社会の中で民衆を抑圧していたが、では現在、王政あるいは天皇制、帝政の国が全て、国民を自由から遠ざけているのかというと、そうでもあるまい。第一、日本はどうなのか?

だいたいが、国民を抑圧する存在は、何も王政というか、政治体制に限ったことではない。企業、因習、人間関係・・・、その種は日常生活の中に無数に存在している。当たり前だが、共和制の国の国民がみんなハッピーというわけでもない。

であるならハンガリーが1990年代に、あえて王政に戻るという道があってもよかったのに、と思ったわけだ。

オットー氏は長く欧州議会議員を務め、反ファシスト、反共産主義の人としても有名であった。仮にハンガリー国王となっても、今更、絶対王政を始めるわけでもあるまいし、できるわけでもないだろう。

20世紀末に王国となり、21世紀を迎えるという状況の中で、ひょっとしたら新しい国王と国民の関係が築けたかもしれないと思うのだ。

日本や、イギリスをはじめヨーロッパの王国が、ずっと続いていたがために、長らくの因習や前例、既得権益にとらわれてできないような新しい王政の在り方が、一度、リセットされた状態でスタートできたハンガリーでは、できたかもしれない。

それがどんなものかと問われると、私にもよくわからないのだが・・・。まぁ私の夢想に過ぎないのだけれど、見てみたかったという思いは、ある。

まだオットー氏の子供たちは残っているし、そういう意味ではハプスブルグ家は続いているのだが、再度、この一族が国王となることは、二度とないだろう。

共産主義政権の崩壊という局面を迎えた、あの当時のハンガリーだけが、たぶん最後の機会だったのだと思う。

とりあえずは、ご冥福をお祈りします。合掌・・・
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2011年06月20日

いずこの国も・・・

危機感を募らせる地方自治体と、"建前"を盾に決断の鈍い中央政府・・・といえば原発問題に揺れる我が国のことかと思うが、どっこいフランスだって似たようなものだった。下記の記事を読んでいただきたい。

大麻の合法化を提案するパリ郊外の市長」(OVNI 6月20日より)
http://www.ovninavi.com/700_profil

フランスのとある街の市長が、若者を蝕む麻薬組織の暗躍にケリを付けるため、フランス国軍の駐屯と大麻の合法化を提案したそうだ。

非合法だから裏組織が利権とするわけで、合法化すれば裏組織の旨みもなくなるだろう、ということならしい。

まぁ極端といえば極端だけど、ぐちゃぐちゃ言ってるだけで、なかなか成果のあがらない政府の言説よりは、はるかに分かりやすい主張だと言えるだろう。

本当は、わかりやすいだけではダメなんだけど、政治にグダグダが続く時は、このようなわかりやすい極論がまかり通ってしまう。かつてヒトラーがあれほどの人気を得て政権を取ったことも、無理ないことかと思う。

「極論」って、とても魅力的で耳当たりがよくて、溜飲が下がるものなんだもん。それだけダマされることも多いというわけだ。

しかし、件の市長のセリフ、「大部分が保守的かつ反動的な政治家たちは、現実に直面することをおそれている」は、まるで橋下知事が言ってるみたいだな。言説の"キレ"がいいところが、よく似ている。

大麻合法化に賛同するセヴラン市民が、たぶんヤマほど出てくることだろうと思う。まぁ、酒やタバコより害はない、という人もいるみたいだし。
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2011年06月03日

もう6月、衣替えの季節ですね

何か怪しげでヘンな勧誘の電話に、「結構です」と答えたら、セールスから「あなた、了承したでしょう!」と契約を迫られる…

まぁ、よくある話ですな。しかし、昨日某所であったゴチャゴチャは、まるきり、これと同じ程度のおはなしではないか。

いったいぜんたい、何やってんだが…。いい大人が、しかも地位もあるいい大人が、「言った」「言わない」の低レベル論争を、これからも延々と続けるのかと思うと、うんざりする。

梅雨が来て、夏ももうすぐだというのに、あの世界はいつまでたっても衣替えができないようで。

もうあまりのバカバカしさに感動して、これ以上何も言うことがありまへん。

こういうのを「菅無理よう」じゃなかった、「感無量」というのだろうか…。
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2011年03月17日

プロ野球開幕

なんでナベツネは、そんなにヤリたいのかね? 自分が老い先短いからか?

うろ覚えで申し訳ないけど、テレビで見たら、確か「プロ野球を開催することで、世界に日本がまだまだ元気だとアピールできる」みたいなことを言ってたような・・・。

違うと思うな。

海外の国に、「お、日本はまだ大丈夫だな!元気だな!」と思わせるただひとつの方法は、

原発の問題をきちんと片づけ、これ以上、放射能の危険性がないと胸を張って言うこと

だけしかないと思うんだが。

国民としては、一番大事なことを、まず真っ先にやってくれ、というだけですね。

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2011年03月15日

石原都知事「天罰」発言に思う

まず最初に。今回の大震災で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
私にできることは少ないですが、ご協力させていただけることがあれば、精一杯、させていただきたいと思います。


では本論に。

そのうち誰かが言い出しそうな気がしていたんだ。「大震災は天罰が当たったからだ」みたいなことを。

そうしたら、やっぱり言い出した。それも一番、言い出しそうな人が。だから今回の石原都知事の発言は、『想定内』と言える。

それにしてもこれは、自治体の”首長”の発言なのか? 

仮に石原氏が在野の評論家やテキトーに駄文を売る分泌業・・・じゃなかった、文筆業だったら、私は「下劣なヤツだなぁ」とは思うが、それ以上、何も思わない。

まぁ、飲み屋のカウンターで、たまたま隣に座った見ず知らずの客に、持論を押しつける酔っ払いオヤヂと同じだからだ。そういう意味では、何も考えていない人が何も考えずに言葉を垂れ流しているだけだとも言えよう。

だが、それが”首長”、しかも世界的な大都市の”首長”としての立場にいる人の発言であるとすれば、これは看過できるものではない。

東京ほどの世界的な大都市ともなれば、人種、文化、信条、あらゆる点で多様な人々が暮らしている。しかし、ここ数カ月の石原知事の発言を見ると、彼は多様性を受容できるほど器の大きな人間ではないようである。自分の考えとは異なる者を受け入れ、行政者として率いていくなどということが、到底、できる人間ではないように思う。

これが我が国の首都、東京の首長なのかと思う。

先にも書いたけど、たぶんこの人、何も考えていないんだろうな。思ったことを思った通り口に出しているだけなんだろうな。

「自分が思ったことを言って、何が悪い」と思っているだけなんだろうな。昔から、そんな感じだもん、この人。もう腹立てる気にもならん。ただただむなしいだけ。

悪意のない悪意、無自覚が生む悪意が、時として意図的な悪意より始末が悪いように、「どこが言ってはいけないことなんだよ?」という無自覚な発言が、人々をとても傷つけることがあることを、エエとこの生まれであり、たぶん若い時からチヤホヤされてきたであろうこの人には、わからないのだろう。

どっちにしたって、「天罰云々」言ってる場合じゃないだろうと思う。都民は通勤・通学・停電に苦労しつつ、「東北の人に比べたら・・・」と健気に頑張っている時に、首長はもっと別に言うべきことがあるのじゃないかと思う。
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2011年02月17日

3位じゃダメなんですか?

いや、3位でもいいと思いますよ、私は。

GDPが中国に抜かれて3位になっても、いいと思います。

これは某大臣がかつて科学技術の先進性に対して「2位じゃダメなんですか?」と言ったのとはワケが違う。

アメリカはいまだに、GDPが日本の3倍ぐらいある。でも、アメリカは日本の3倍、幸福な国なのか? 昨年から、中国は日本より幸福な国になったのか?

高齢者が安心して暮らせる高度な福祉国家と言われるスウェーデンはGDPランキングで22位、デンマークは30位に過ぎない(2009年名目GDPランキング)。関係ないけど、サッカーの日本代表のランキングより下である。

GDPのランキングと生活実感にはズレがあって、日本はずっとアメリカに次ぐ2位といっても、バブル崩壊以後、暮らしの充実感は下がりっ放しに近い。今更3位に落ちたと言われても、まぁ、慌てる必要はない感じがする。

むしろGDPを”荒稼ぎ”している国は、どこか国民に多大な苦役を課しているような気もする。あの国も、この国も、あそこの国も・・・。

幸福に暮らせる国で生きたいものである。
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2010年10月07日

Japan As No.1

ノーベル化学賞、今年も受賞ですか、凄いなぁ。鈴木先生、根岸先生には、心からおめでとうといいたい(まぁ一面識もないが・・・とゆーか、昨日まで全く知らない人だったし)。

しかし、この10年ほどの間、ノーベル化学賞で日本人が受賞するケースが多くなっている。日本人としては純粋にうれしいのだが、ちょっと気になることもないではない。

今回の両先生の受賞も、今から30年ほど前の「クロスなんちゃら」「有機結合とかなんとか」(私は理数オンチです。あしからず)といった成果に対する授与である。

30年か・・・。

ノーベル賞を貰うには、ホントに時間がかかるんだな、という素直な感想も当然ある。

だがそれ以上に思うのは、30年前、まだ日本が元気だった頃の”遺産”が、ノーベル賞を与えているのではないか、ということ。

30年前というと、1970年代後半から80年代にかけて。日本は70年代前半のオイル・ショックやニクソン・ショックをかいくぐり、経済的に絶頂期を迎えようとしていた。

エズラ・ヴォーゲルが書いてベストセラーになった「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が1979年の出版だから、まさにそんな経済力の高まりの時代に、科学技術の分野でも大きな成果をもたらす研究開発が、相次いでなされたのだろう。

日本のノーベル賞受賞は、湯川博士や朝永博士のような理論物理学の分野から始まっている。しかし冒頭でも書いた通り、この10年ほどは化学分野での受賞が多い。

理論物理学が実用的でないと言うつもりはサラサラないが、やはり「実用性」という面を考えれば、一連のノーベル化学賞受賞の方に軍配が上がるだろう。30年前、「ナンバーワン」と称えられ、世界の最先端を走っていた日本の数多くのテクノロジー・・・自動車や電化製品やハイテク製品の開発のための開発、発明、発見が今、ノーベル賞受賞という結果となって表れているのだと思う。

さてさて、ひるがえって今から30年後、ノーベル賞受賞者に日本人の名前はあるか、ないか? まだまだ2010年の日本は死んでいなかったと言えるのか、言えないのか?

それは30年後まで生きる楽しみとしよう。30年後、私は81歳である。
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2010年06月11日

おぼっちゃま時代の終焉?

麻生元総理と、安部元総理が、「市民運動あがり」ということで、今度できた菅総理を「左翼政権」と言ったとか言わないとか・・・。

今さら「サヨク」なんて持ち出すのも、何だかなぁ〜という感じではある。で、ここでちょっと気になったことがあったので、調べてみた。すると・・・

●菅サン:市民運動あがり、左翼政権(笑)
●鳩山サン:総理の孫、外相の息子
●太郎:総理の孫、代議士の息子、大久保利通の子孫
●フクダサン:総理の息子
●安部チャン:総理の孫、有力代議士の息子
●コイズミ:代議士の孫、代議士の息子
●森サン:町長の息子
●小渕サン:代議士の息子
●橋本サン:代議士の息子
●村山サン:日本社会党党首、左翼政権(笑)

ということで、何とこの16年間、日本の総理は政治家の子息、つまり「おぼっちゃま」層を、2つの左翼政権(笑)がサンドイッチするという構図になっている(森サンだけ、ちょっとカク落ちな感じだが)。

こういうのを見ると、太郎とか安部チャンの発言に「政治家の家系でもないヤツは、しょせん左翼政権」という臭いを感じ、さらには「平氏にあらずんば人にあらず」の発想と五十歩百歩のイヤらしさを感じてしまう(・・・のは、私がビンボーな庶民の出だから?)。まぁ今の日本は実質的に階級社会だからなぁ・・・。

しかし、菅政権を「左翼政権」と言う太郎にしても安部チャンにしても、なんで村山総理の時には「左翼政権」と言わなかったんだろうね? まぁ当たり前だけど、当時は「自社さ」連立だからだね。「左翼政権」なんて攻撃できるはずもないから、だいたいが。

というか、今から16年ほど前に自分たちが「左翼」と仲間だったということを棚に上げて、どの口が言うか?と。まぁ、二人ともあまり記憶力がよろしくなさそうなので、すっかり忘れているのだとも考えられるが。

ところで政治家の息子の政権が15年にわたってえんえんと続くのに比べたら、たまに「左翼政権(笑)」が混じる方が、政治的にはまだ健全にも思えるが、みなさん、どうですか?
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2010年05月21日

恨みはらさでおくべきか・・・

小学生の頃、私は出来たばかりの、とある公営施設に出かけたことがある。その時、公営施設の周囲を歩いていたら、通りとか家の前に横幕というか立て看板みたいなのがあって、こんなことが書いてあった。

「この恨み、はらさでおくべきか・・・」

家の前の看板に書かれたこの文句に、子供の私としてはとても怖い思いをしたことを覚えている。あれは、何なのか・・・。

当時その街に、新しい公営施設は作られた。誘致されたその理由は、ゴミ焼却場ができたからだ。

市だったのか、あるいは広域連合なのか知らないが、「この街にゴミ焼却場を作ろう」と、誰かが決めたのだろう。その見返りとして、公営施設が誘致されたのだ。

しかし実際にその街に住む人々の何人かは、公営施設なんぞで誤魔化されなどしなかった・・・というわけだ。その結果が、街にあふれる、あの看板。

だが、そこに住む人たち以外は、そんなことを理解もしなかったし、もちろん手を合わせて感謝するということもなかったはずだ。私も、私の親も、その焼却場の恩恵にあずかっていたはずだが、たぶん親は、そこにゴミ焼却場ができたことさえよく知らなかったようだし。

まぁ、他人の痛みなど、その程度だ。

それと、これはあくまで私の憶測に過ぎないのだが、当時としても様々な異なる思いがあったはず。

「ゴミ焼却場もやむを得んな・・・」「公営施設ができるなら、まぁ認めてもいいか・・・」「ゴミ焼却場関連で、新しい儲け話があるかもしれんなぁ」・・・。

そんな思いもあったのではないかと思うけど、「この恨み、はらさでおくべきか」という看板の主張のインパクトの前に、全ては隠されてしまっていたのではないかと思う。あくまで私の憶測、下種の勘繰りだが・・・。

話題を変えよう。

わが家の近くに「墓地反対!」と書かれた看板がある。もうちょっと行った別の場所には「葬儀場、進出反対!」という看板が立っているところがある。

まぁ、人間誰しも必ずお世話になるところなのだが、それでも反対する声は多い。私自身、近くにできるのは嫌だなぁと思う。正直な気持ちとしては。


ゴミ焼却場、メモリアル施設、そして・・・・・・米軍基地。


普天間問題をニュースで取り上げるたびに、私は小学生時代に見た、あの看板を思い出す。あの看板は、今、どうなっているのだろうか? もう撤去されたんだろうな、きっと。だとしたら、いつ、どんな経緯で撤去されたんだろう?

ゴミ焼却場に恨み骨髄だった人たちは、今、どんな思いでいるのだろう?

おそらく35年以上は経過して、風化した恨みもあれば、休火山のようにただ心の奥にしまわれただけの恨みもあるだろう。うまく儲けた人も、ひょっとしたら、いたかもしれない。その記憶は、もう薄れかけているかもしれない。だから今、聞くべきだと思う。

風化した恨みも含め、儲かったような気がするという薄れた記憶も含め、いろんな思い出話を聞いてみる価値はあるような気がする。

「基地とゴミ焼却場を一緒にするな!」という人がいるかもしれないけれど、住む人が忌避するという点においては、変わりはないはずだと思う。

少なくとも「コンクリートから人へ」と、一度でも謳ったことがあるこの国の政府・与党なら、こういった人々から「心の処理の仕方」について、もっと学ぶべきではないかと、私は思う。
posted by taney at 19:46| Comment(2) | TrackBack(1) | 時事

2010年04月27日

置き薬

前回のブログでも書いたのだが、超零細企業のわが社には、置き薬が2つある。

まずひとつ目。まだ会社を立ち上げて間もない頃、元気そうなセールスマンが飛び込みでやって来て、置いてった。初めて聞く会社だったけど、まぁ、あっても別に困らないし、むしろ急に入り用になることもあるかと、置いてもらうことにした。ただし「少人数なんで、使うことないかも・・・」とひと言加えて。

ふたつ目。それから1、2か月後、配置薬としては有名なところの、やたら押しが強そうなセールスマンがやってきて、無理矢理置いてった。「使わへんよ、ホンマに」と言うと、「いいですよ。とにかく置いてください」と言ったので、私としても、何があっても使わないでやろうと思った。


ひとつ目の方は、たま〜に使う。といっても、主に絆創膏。こういう仕事をしていると、割と紙なんかでよく手を切るものなので。しかし、そんな分も含め、この4年ほどで使った金額はたぶん1000円もないはず。


ふたつ目の置き薬は、最初の誓い(?)通り、本当に使わない。意地でも使わない。というか、使う時はひとつ目を使うし。

それでも、定期的にセールスがやって来て(来るたびに、人が変わっているが)、古い薬を新しいのに入れ替えていく。全く使わないから、私は一銭も支払わない。それでも、何かしらんがレシートみたいなものだけ打ち出し、セールスマンはちょっと肩を怒らせているような風情で帰って行く。

そんな彼の後ろ姿を見ながら、「あの人はいったい、何をしているのだろうか?」と思う。何を生み出すこともなく、ただ時間と古い薬品だけが消費されている。果たしてこれは、「経済活動として成り立っているのだろうか?」とさえ思う。

そうやって、ポツンとデスクの上に取り残された、たぶん使われる見込みのない薬箱を見ているうちに、私はふと思ったのだった・・・。


・・・あれは、私の作った企画書ではないか・・・と。


この一年ほどの間、つまり「100年に1度の大不況」と言われたこの1年の間、「通ったら、費用を払う。制作も頼む」といわれて作って、そのままになっている企画書が、いったいいくつあったことか。あぁ、あの企画書も、この「置き薬」と変わらんやんか・・・と。つまり「置き企画」。

私は結局、あの配置薬会社のセールスマンと同じことをしているのだなぁ、としばし考え込んでしまった。

いやいや、被害者ぶるのはやめよう。よくよく考えれば私自身が、デザイナーさんなど日頃協力してくれている人に、この1年で何度「通ったら、払う」と無理を言ってきたことか。

何のことはない、自分もあの”置き薬”のスパイラルにはまり込んでいる張本人ではないか。たぶん、こんなことは他の業界でも山ほどあるんだろうなぁ、他の業界なんてよくしらないけどさ。

ひょっとすると、「経済活動として成り立っているのだろうか?」どころか、日本の経済活動の根幹かもしれない。いや、さすがにちょっと大袈裟か?

使われるアテのない薬箱と企画書、それは「将来、いつか使われるかもしれない日のための希望」として存在しているのではなく、たぶん「何としても今日を生き残ってやる」という執念の残滓として存在しているように思える。

しかしなぁ、薬は使われなくても薬であり続ける(古くなって使用期限は切れるけど)が、ロクに読まれず机に積まれただけの企画書だなんて、ただの紙、いやゴミ同然だからなぁ、余計に始末が悪いよね。自分で選んで入った業界だから、しょうがないけどね・・・。


あぁ、そうだ、今日は火曜日、ゴミ出しの日だ。ごみ袋、買ってこなくっちゃ。
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2010年04月22日

頑張れ、フレッシュマン!

毎年4月はビジネス街に新入社員があふれる季節なんだけど、今年はあまり目に付かない。これも不況で就職が超氷河期のせいなのか、それとも私が単に事務所に引きこもって、街に出ていないからなのか・・・。

でも、「やっぱり新入社員の季節なんだな」と思わせることがある。テレアポと戸別訪問である。増えるんだな、4月になると。

今年、一番先に訪問してきたのは、「置き薬」業界である。いかにも入りたてという感じの、溌剌とした(しかも、なかなかお美しい)女性が勧誘にやってきた。良く見ると、彼女の後ろには上司と思しきアラフォーあたりのセールスマンのオヤヂ。愛想よくという思いからか、にこやかに笑っているつもりなのだろうが、若い部下を従えて、ニッタラニッタラ、ニヤけているようにしか見えないのは、私の僻みか?

だが生憎ながら、当社は非常な零細にもかかわらず、すでに2つも置き薬があるのだ(これについては、また次回にでも書くとしようか)。3つ目の置き薬など置くつもりは全くないので、彼女の方だけ見て、丁寧に断ったのであった。

しかし上司さんよ、あなたがいない方が、契約取れるかもしれないよ、ひょっとすると。

さてテレアポで多いのは、電話関係、次に不動産。

立て板に水、いかにもシャベリ慣れた・・・というヤツなら、適当に切ってしまうのだが、新人さんはオドオドしていて、切るのも気の毒なぐらい。だって声だけ聞いてれば、雨に濡れた子犬が縋るように瞳で見つめてる・・・確か昔の金融のCMにあったなぁ・・・ような気がするんだもの。まぁ、それが狙い目だったりするのだろうけど。

どちらにせよ、この不況、せっかく掴んだ就職先で頑張らねば、という今年のフレッシュマンの決意は、並大抵のことではないだろう。全くの他人事であるが、同情を禁じ得ない(もっとも私は私で、他人様を心配している余裕などないほど、いろいろ何かと大変なのだが)。

まぁ、頑張ってください、フレッシュマンのみなさん!

そういえばフレッシュマンの個別訪問が、自宅にもあったらしい。

”ピ〜ンポ〜ン”とチャイムが鳴るので妻がドアホンを見てみると、「ウィズガス」と書かれた白いジャンパーを着た若い男が立っていたという。話を見いてみると、Oガスそのものではなく、「Oガスの下請け会社の者」と名乗る若い男性だ。しかし名刺もださなかったらしい(←要教育!)。

ここからは妻からのまた聞きであるが、彼は「太陽光発電とエコキュートをおすすめに来ました?」というようなことを言ったそうである。それを聞いて、妻はポカンである。

妻 「・・・『エコキュート』って、電気給湯器でしょ? ガス関係やったら『エコウィル』か『エコジョーズ』違うの?」
社員「いえ、『エコキュート』です!(キッパリ)」
妻 「???? Oガスさんでしょ。それやったら、『エコキュート』違うでしょ?」

そんなやり取りを繰り返すうちに、彼は「・・・あれ、どっちやったかな? 実はボク、まだ入って3日目なんです・・・」と言ってすごすごと帰ったらしい。

・・・イヤ、あのね君・・・君こそ上司に付いて来てもらいなさい。

ところで大企業Oガス社様に管理責任があるかどうか、私にはわからないけれど、下請け会社と言えども自社のジャンパーを支給している以上、もうちょっといろいろ気を付けた方がいいよ、と思うな。

フレッシュマンのみなさんは、とにかく最少限の勉強は忘れないようにね。
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2009年04月22日

ビジュアル系?

ついに聴きましたよ、スーザン・ボイル。「聴いた」、というより「見た」ですな。

この「見た」というのがポイントなのだ。「聴く」ではなく「見る」、ね。

「天使の歌声」という評判があったので、それはそれは期待大で「見て」いたのだが、期待が大きすぎたのか、それとも私に審美眼(耳?)が備わっていないためか、まぁフツ〜に上手な歌・・・と思っただけだったが(感動している皆さん、すいません)。
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2009年02月02日

「学テ」結果公開

日曜日だったかな、毎日新聞(大阪版?)の1面にデカデカと載っていた。橋下大阪府知事の「学テ」結果公開の是非を問うアンケートで、府下の学校長のうち約90%が「反対」の意思を示したそうだ。

「反対」の理由の第一として、「学力は、学校だけでなく家庭や地域環境の問題も大きな要因となっているので、自治体あるいは学校ごとの成績を公開しても、あまり意味はない」ということが挙げられていた。

確かに、この意見は理解できる。学校や教師の努力だけでは解決できそうもない問題であることも理解できる。

しかし・・・、「だから、公開すべきではない」という結論になるのが、よくわからない。
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2009年01月28日

「ワークシェア」ねぇ・・・

大変な状況である。アっと言う間の急降下という感じ。

そんな中で、最近よく聞くのは「ワークシェア」という言葉。

かの言葉の素晴らしい効用はいろいろ聞くけれど、結局、早い話が「本来、クビ切りする予定の従業員を雇用し続ける代わりに、その人たちの給与を、他の、まだ会社に雇用されている従業員の給与を下げて捻出せよ」ということ・・・だろうね。

「シェア」・・・分け合うこと。

昔聞いた。ウロ覚えだから、本当に誰が言ったか知らないけれど。

「共産主義は富の分配ではなく、貧困の分配」
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2008年11月12日

〜の自由

論文問題で更迭された前空幕長が、国会で「我々(自衛官)にも言論の自由はある!」と言ったそうな。

自衛官---もっと拡大解釈すれば公務員に言論の自由はあるかないか、というのは私なんぞがお気楽に答えを言える問題でもないと思うので、またの機会、またの人にゆずるとして、ちょっと気になったことを。
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2008年10月22日

ピザ返金

サイゼリア・・・結構、行ってるんだなぁ。特に子供ができてから。

普通(?)のファミレスよりは、美味しいように思えて、家族揃って何か・・・という時には、しばしば利用したっけ。

大阪市南部にいる時は、あべのベルタの1階にあったのとか。今のところに引っ越してからでも、周囲にいくつかあるので、そこへとか。

思い出すのは、今や小1になる末っ子が生まれる前日、私と妻、上の子二人でサイゼリアで昼食をとったことだ。天皇誕生日のことだったなぁ〜。

しかし、サイゼリアは店によって雰囲気が異なるので、同じ感覚で行ったら「えっ?」という思いをしたこともあったな。まぁ、どうでもいいけど。

そのサイゼリアで、例のメラミン騒ぎ。混入が見つかったピザの代金を、レシートがなくても自己申告で払い戻すとの旨。まぁ、それはそれでよい。サイゼリアの誠意ととっておこう。

しかし、「レシートなし」という部分で、早速、食ってもないのに返金に行く輩が現われているらしい。ミクシあたりに、自慢げに書いた者もいるとのこと。

そういうのを見ると、「あ〜、サイゼリアも、もうちょっと賢くできなかったのか」と思うのだ。
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posted by taney at 19:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 時事

2008年10月01日

4>20

思わず、「う〜ん」と唸ってしまったニュースがある。三越百貨店というか三越伊勢丹HGが、4店舗閉鎖するというニュースだ。うち2つは鹿児島店、池袋店という都心部の大規模店。あとの2店が名取店と武蔵村山店で、開業わずか2年ほどで閉店という。

「う〜ん」と唸り続けている間に、今度はスーパーの西友が、20店舗の閉鎖を発表した。

しかし自分としては、西友の店舗閉鎖はあまり大きな衝撃ではない。どちらかといえば「なるほどね」という感じ。「4店閉鎖」が「20店閉鎖」を、私のマインドシェア(?)で上回っているということか。

これはおそらく、百貨店とスーパーに対するイメージ的な軽重の差から来ているのではないか。
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posted by taney at 14:50| Comment(6) | TrackBack(0) | 時事

2008年08月31日

ねんきん特別便

私ん家にも、ついに、というか、やっと届きました。「ねんきん特別便」。しかし、なんちゅーネーミングかねぇ。まぁ、いいけど。

加入記録を早速、調べた。

合ってました。

しかしなぁ、私は大学を卒業して以来、2年半前まで勤めていた会社と、現在、自分でやっている会社のふたつだけなんで、このたったふたつで間違いがあれば、それこそ目も当てられないわけで。

それでも、一応はちゃんと返答して、社保庁に送らにゃならん。面倒ですね。もちろん私だけじゃなくて、郵便関係者も。

それ以上にちょっと気になったのが、挨拶状というか、マニュアルというか、ビジネスレターというか、それに記載された舛添大臣の直筆サインの大きさ(もちろんサイン自体は印刷ですが)。

ちょっとね、デカすぎない? こんなところで自己顕示欲発揮しなくてもいいのに。だいたい、サインにする必要はあるのか?

携帯で撮って、このブログに載せようかと思ったけど、面倒なのでやめます。あなたの所にも送られてくると思うので(もう来ました?)、その時、見てください。

ただし、舛添さんが、その時も大臣だったらね。
posted by taney at 00:03| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事

2008年08月25日

同じ記号の遠い国

もう終わった、というか、やっと終わったというか、とにかく北京五輪が閉幕した。まぁ、何と言っても「オリンピック」だし、お祭り騒ぎだったわけだし。

夏休み、家族で小旅行に出かけた時、妻が携帯で懸命になってオリンピックの速報など見ているので、思わず「旅行に来てまでオリンピック見るなよ!」と言ったら、「オリンピックやから旅行中でも気になるんでしょうが!」と返されてしまった。ま、そんなもんでしょうね、世間では。

ところで、メインスタジアム。人呼んで『鳥の巣』ですが、正しくは「北京国家体育場」と言うらしいが・・・「国家体育場」ねぇ。「国家体育」「国家」「こっか」「コッカ」・・・。国が民に与えてやった・・・という感じとでも言えばいいのか、あるいは「国家主義」「ナショナリズム」な感じと言ったらいいのか、そんな感じの漢字。

しかし、よくよく考えると、この「国家体育場」を英語名は「National Stadium」なんだな。な〜んだ、「国立競技場」のことではないか。これなら日本にもあるぞ。
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posted by taney at 14:09| Comment(5) | TrackBack(1) | 時事